yamanashi.jpg (12132 バイト)山梨の魅力紹介 1.歴史 B 【奈良・平安時代

「仏教伝来と富士山大噴火」

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仏教伝来

富士山大噴火

甲斐源氏の台頭

仏教伝来

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大善寺・薬師堂(本堂)

    仏教は、チャイナからコリア半島を経由して538年伝来し、国家護持の柱として国教化されました。山梨で一番古い寺院は、春日居町にある寺本廃寺です。天武天皇の672年頃建立され、由緒は諸説があり、まだ分かっていません。奈良時代の718年に行基が草創したといわれる真言宗の古刹である国宝・大善寺が勝沼町の国道20号線沿いにあります。1270年に焼失し、1291年に鎌倉幕府によって再建されました。県内最古の建物です。

    また、741年建立の命令が出された甲斐国分寺は一宮町国分に跡があり、すぐ近くに国分尼寺跡もあります。平安時代の808年空海が開山し、830年空也が創建したという厄除地蔵尊で有名な塩沢寺が甲府湯村温泉郷内にあります。

【見所】[春日居町の寺本廃寺][勝沼町の国宝・大善寺][一宮町の甲斐国分寺・国分尼寺跡][甲府市の塩沢寺]

富士山大噴火

    864年に富士山が噴火し、被害が大きく、翌年甲斐国に浅間社が八代郡と山梨郡に建てられました。現在は、一宮町の甲斐浅間(あさま)神社、河口湖町河口の浅間(せんげん)神社、勝山村富士御室浅間神社・富士吉田市上吉田北口本宮冨士浅間神社・忍野村の浅間神社、市川大門町高田・甲西町江原など、各地にあります。

   そのときの噴火で、西湖と精進湖が分かれ、溶岩によってできた青木が原丸尾の上にできた森林は青木が原樹海と呼ばれ、「富士山原始林」として天然記念物に指定されています。また、溶岩洞穴や樹形をつくり、風穴や氷穴として、現在も多数残り、中でも最大級の富岳風穴や鳴沢氷穴は見学でき、観光資源となっています。

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富士吉田北口本宮浅間神社

 【見所】[各地の浅間神社][鳴沢村の青木が原樹海][鳴沢村の富岳風穴と鳴沢氷穴]

甲斐源氏の台頭

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須玉町正覚寺

    清和天皇の系統を引くという甲斐源氏は源義家の弟新羅三郎義光(よしみつ)を祖としています。清和源氏と甲斐との関係はその祖父頼信(よりのぶ)が1029年甲斐守に任じられたところから始まります。頼信は平忠常の乱を平定し武名を天下にとどろかせました。頼信の子頼義(よりよし)は前九年の役、頼義の子義家(よしいえ)は後三年の役、奥羽の大乱を平定しました。その弟が甲斐源氏の祖・義光です。兄を助け「弓馬達者の名将」とたたえられ、常陸介・甲斐守を歴任しました。若神子城(須玉町若神子)は義光の居城跡といわれています。現在城跡は国道141号線沿いに、ふるさと公園となり、のろし台があります。また、沿道には義光の子義清(よしきよ)が父を奉ったといわれる正覚寺があります。

【見所】[須玉町の若神子城址(ふるさと公園)][須玉町の正覚寺]

   実際に甲斐に土着したことが確実な最初の人は、義光の子義清と、孫清光(きよみつ)親子です。義光は常陸に進出し、子義清を常陸国那珂郡武田郷(現在の茨城県勝田市武田)に配置しました。地元の豪族の反発を受け、その子清光も乱行から朝廷に告発され、1131年父子ともども甲斐国市河荘に配流されたといわれています。市川大門町の平塩岡には義清の館跡と墳墓が残っています。一方、昭和町西条にも、義清神社と義清の墳墓といわれるものがあります。

【見所】[市川大門町の平塩岡][昭和町の義清神社]

     清光は八ヶ岳南麓の逸見荘を拠点に、甲斐源氏発展の基礎を固めました。大泉村の谷戸(やと)城址は、源清光の居城といわれています。清光は子どもが多く、各地を治めさせ、彼らは支配した地名を氏として名乗りました。特に繁栄するのが、武田信義(のぶよし)と加賀美遠光(とおみつ)の系統です。前者は武田氏の祖となり、後者は小笠原・南部氏の祖となりました。信義の武田館は、韮崎市に地名を伝えるだけですが、遠光の加賀美館は現在若草町の法善寺境内となってわずかに雰囲気を残しています。甲府市の名刹遠光寺(おんこうじ)は、遠光の開基と伝えられています。

【見所】[大泉村の谷戸城跡][若草町の法善寺][甲府市の遠光寺]

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