山梨の魅力紹介 1.歴史 B 【奈良・平安時代】 「仏教伝来と富士山大噴火」
【見所】[春日居町の寺本廃寺][勝沼町の国宝・大善寺][一宮町の甲斐国分寺・国分尼寺跡][甲府市の塩沢寺]
【見所】[各地の浅間神社][鳴沢村の青木が原樹海][鳴沢村の富岳風穴と鳴沢氷穴]
【見所】[須玉町の若神子城址(ふるさと公園)][須玉町の正覚寺] 実際に甲斐に土着したことが確実な最初の人は、義光の子義清と、孫清光(きよみつ)親子です。義光は常陸に進出し、子義清を常陸国那珂郡武田郷(現在の茨城県勝田市武田)に配置しました。地元の豪族の反発を受け、その子清光も乱行から朝廷に告発され、1131年父子ともども甲斐国市河荘に配流されたといわれています。市川大門町の平塩岡には義清の館跡と墳墓が残っています。一方、昭和町西条にも、義清神社と義清の墳墓といわれるものがあります。 【見所】[市川大門町の平塩岡][昭和町の義清神社] 清光は八ヶ岳南麓の逸見荘を拠点に、甲斐源氏発展の基礎を固めました。大泉村の谷戸(やと)城址は、源清光の居城といわれています。清光は子どもが多く、各地を治めさせ、彼らは支配した地名を氏として名乗りました。特に繁栄するのが、武田信義(のぶよし)と加賀美遠光(とおみつ)の系統です。前者は武田氏の祖となり、後者は小笠原・南部氏の祖となりました。信義の武田館は、韮崎市に地名を伝えるだけですが、遠光の加賀美館は現在若草町の法善寺境内となってわずかに雰囲気を残しています。甲府市の名刹遠光寺(おんこうじ)は、遠光の開基と伝えられています。 【見所】[大泉村の谷戸城跡][若草町の法善寺][甲府市の遠光寺] あなたは1998年10月13日以来、 人目のお客様です |
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