山梨観光情報
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悲劇の武将・勝頼の菩提寺
鎌倉時代の末、甲斐国(かいのくに)守護、武田信玄が開いた寺といわれている。武田信玄も、子勝頼(かつより)を中興開基とするなど寺を厚く保護した。 天正10年(1852年)3月11日、勝頼は大和村田野に滅び、首級は京にさらされたが、妙心寺の住持、南化和尚が首をもらいうけ、のち快岳和尚が歯髪を持ち帰り、寺の開基信武の墓の傍らに葬った。